あなたもリベハラ(自分らしさの押し付け)のせいでやりたいこと難民になっていませんか?
「リベハラ」とは「リベラルハラスメント」の略で、直訳すると「自由の強要」です。
ここでは「自分らしさの押し付け」としています。
「夢や目標を持とう」
「自分の本当にやりたいことをやろう」
「好きなことを仕事にしたらすべてがうまくいく」
聞き慣れたこうした言葉、何か引っかかりませんか?
私はリベラルな価値観自体は素晴らしいことだと思っています。
現代人の特権であることは間違いないからです。
「誰もが自分らしく生きることができる社会を」というリベラリズム(自由主義)はもはや当たり前になりつつあります。
しかし、他人の生き方に関する価値観を勝手に決めつけ、それを押し付ける「リベハラ」は自由とはかけ離れてしまい、完全に有害なものとなってしまいました。
本来のリベラルな考え方で言う「自由」とは、他人に迷惑をかけなければどう生きてもよかったはずです。
これが「やりたいことをやるのが当然で正しく、カッコいい」とリベハラで歪められてしまうと、そうではない生き方が否定されているように感じてしまいます。
親や先生の「夢を持て」から始まり、会社の面接ではやりたいことや夢を当然のように聞いてくる。
出版社は年々下がる本の売上げを取り戻そうと、耳障りのいいキャッチーなフレーズを多用し、YouTuberは我がもの顔でやりたいことをやれという。
これでは夢や好きなこと、やりたいことがないといけないかのような先入観を持ってしまうのは仕方のないことです。
「リベハラ」をしてくる人に悪気はないかもしれませんが、長年期待され、質問されてきた私たちにとってはたまったものではありません。
「やりたいことの探し方」みたいな本が売れるのは、そうしたことで行き詰まりを感じ、悩んでいる人たちが多いことの裏返しではないでしょうか?
「自由」が都合よく担ぎ上げられるばかりに、逆に「不自由」になってしまう人が増えているのです。
本を読んだり、ワークをしたり、インドに行って見つかるようなものなら、わざわざ探さなくてもやっているし、好きなはずです。
過去の私を含め、このようなリベハラが原因で多くの「やりたいこと難民」が生まれてしまいました。
問題は、私たちがやりたいことがないといけないような気にさせられ、身動きが取れなくなっていることです。
「自分らしさを見出せない人は、さもダメかのように錯覚させられている」
これが大問題なのです。
最初はやりたいことなんてなくても誰かに貢献することで喜びを感じ、それがいずれやりたいことになったかもしれません。
これを「他人軸で生きている」などとおせっかいに主張する弊害は計り知れないのです。
皮肉なことにリベハラ(自分らしさの押し付け)は、その人の自分らしさを消し去ることになっている原因そのものと言えるでしょう。
ことビジネスや副業においても同じことが言えます。
「好きなことで食っていく」的な言葉にひかれ、一度この考え方に囚われてしまうとなかなか抜け出すことができません。
すると、いつまでも最初の一歩を踏み出すことができなくなってしまうのです。
これは私の経験でもありますが、方法論に答えを求めてノウハウコレクターになるか、何かに取り組んでも「これは本当にやりたいことじゃない」とすぐに挫折してしまいます。
やりたいことや好きなことが見つからないのが原因なのではありません。
ビジネスや副業という究極の「相手目線」を棚上げした人たちのメッセージに毒されていることが原因です。
この暗くて長いトンネルを抜け出すには、どうすればいいのでしょうか?
私が身を持って実際にこの問題を解決した方法があります。
この時、私はやりたいことや好きなことなど一切考えず、この方法でひたすら行動しました。
その方法とは、「マーケティングを学び、コンテンツを作り、市場に出して実践から学ぶこと」です。
「結局コンテンツビジネスをやれってことか。情報商材と変わらんな」
そう感じるかもしれませんが、いわゆる情報商材は短期的な稼ぎ方のノウハウだけを教えるものであって、本質的な考え方やスキルは教えてくれません。
私はこうした情報商材とは違うものを提供していますので、楽して稼げますとはいいませんし、そんなものは知りません。
仮にノウハウだけで稼ぐことができたとしても、一生稼ぎ続けることができないので興味がないからです。
「相手から出発するスキル」がマーケティングであり、マーケッターの一番大事なスキルです。
そしてその「商品を作るスキル」がコンテンツクリエイターです。
どれだけ優れたノウハウがあっても、これら2つのスキルがないと「好きなことで食っていく」ことが余計に難しくなります。
この2つのスキルを掛け合わせることで、時代やトレンドの変化に影響されない最強のスキルが獲得できます。
仮にこの世からパソコンとインターネットがなくなってしまったとしても、人間と人間との「価値の交換」がある限り、マーケティングスキルは必要とされ続けます。
まずはこの力を養うことがスタートラインにもなり、一生もののスキルにもなるのです。
「相手目線のない自分らしさ」は求められることはありません。
ないというのは極端ですが、作りたいものを作り、渡したいものを渡すような自分らしさがそのまま価値に繋がるのは一部の限られた人だけでしょう。
ここで「俺か、俺以外か」という自分らしさの塊のようなキャッチフレーズでおなじみのローランドはどちらのタイプか考えてみましょう。
よくよくマーケッター目線で彼を見てみると、顧客の完璧な体験のために酒を飲まずに接客したり、生活感を極力なくすためにコンビニには足を踏み入れないなど、相手目線を徹底しているのがわかります。
これはブランディングとも言えますが、間違いなく「相手目線」のマーケティングです。
「今の自分にできる限りの最高の顧客体験をしてもらおう」と考えること。
これがマーケッターの仕事です。
これは自分を殺して他人に尽くすことをさす「他人軸」と呼ばれるものとは違います。
相手に貢献するために自分を活かす「マーケティング」です。
当たり前ですが、相手に貢献するには「相手目線」の理解が必要です。
「相手目線」が分かるようになるには、「マーケット感覚」が欠かせません。
相手目線を理解できるようにマーケット感覚を磨くことが先で、それができて初めて「どう自分らしさを打ち出していこうか」と考えることができるようになります。
そうじゃないと、「コンビニに入ることがお客さんの体験を損なうことになるかもしれない」なんていう仮説を立てることなどできません。
自分らしさの象徴のようなローランドでさえ、「自分」ではなく「相手」を出発点にしていることがすべてを物語っています。
よくスティーブ・ジョブズが自分のやりたいことをして成功した例で出されますが、誤解です。
彼も決して最初からやりたいことをやっていたわけではありません。
ヒット商品もお客さんの生活が出発点です。
iMacはそれまでオタクのイメージだったパソコンを家電としてとらえてもらい、「一家に一台」と位置付けた斬新な切り口がヒットしました。
iPhoneは「携帯電話のようにパソコンを持ち歩きたい」と言う潜在ニーズを掘り出せたからこそ売れました。
世界的レジェンドでさえも、人の暮らしを出発点にした「徹底的な相手目線」を欠かしていません。
やりたいことがある、好きなことを仕事にしたい、という人を否定する気はありませんが、マーケット感覚を持つことができなければ趣味に留まるでしょう。
逆に言えばマーケッターにさえなっておけば、いざやりたいことができたときにも「誰かにとっての価値」と「自分らしさ」を繋げて商売にできます。
まずはリサーチして仮説を立て、自分の苦痛じゃない形式でコンテンツを作ってみる。
そして市場に出してみましょう。
コンテンツマーケッターになるということです。
やりたいことや好きなことは後からいくらでも扱うことができます。
なぜなら、あなたはマーケッターだから。
市場のスキマを狙うことも、市場の切り口を自分で創り出すこともできるからです。
やりたいことや好きなことなど無いなら無いでいいじゃないですか。
今やるべきことに集中する方法を、私はあなたと共有できます。